ツイード素材のスーツを着用してサイクリングするTweed Run

エコや結構思考が高まっている昨今、自転車や本格的なロードバイクに乗っている人が本当に多くなったと思います。
自転車の交通マナー問題を取り上げ、安全に走行することを広め、街を走る楽しさを発信していくという目的で2009年にイギリス・ロンドンで始まったツイード・ラン
2017年は東京の10月22日、名古屋の11月18日に開催されます。
様々なツイード素材のスーツを見るだけでも心がウキウキします。
ドレスコードは上下ツイード素材でなければいけない訳ではなく、服装のどこか一点に取り入れればいいので高額な衣装代が掛かる事もありません。
自転車にしても競輪選手のような自転車だったり、折り畳み式だったり。
なんともお洒落でユニークはイベントとなっています!

英国カントリージェントルマンに愛用されたツイードジャケット

日本にツイードが広まったのは大正時代のことで、柳宗悦が始めた民芸運動が発端となった。
友人の香港生まれのイギリス人バーナード・リーチから英国に生活のほとんどを田舎で暮らすカントリージェントルマンの存在を知る。
そしてそこで彼らが愛用しているツイードジャケットに興味を持ち、民芸運動の仲間たちに勧めたのである。
日本橋の丸善書店と交渉、ツイード地の輸入が始まり、ついにスリーピースのツイードスーツが出来上がった。
ハリスツイードなのかドネガルツイードなのかシェットランドツイード、どの生地だったのでしょうか。
ちなみに「民藝」とは柳らが職人の手から日常の生活用具と名付け「美は生活の中にある」とのこと。
手間暇かけた手仕事から工業化が進み近代化になっていく容易な流れを継承を鳴らし、民芸活動を通して伝え追求していったのです。

ハリスツイード全体の80%を生産する最大手

英国のハリスツイード条例には「島民の自宅で手織りする」という決まりがあり、染色から紡績まで行っている。
現在3社ある工場で全工程を管理しているが、その中でも約80%のシェアを占めている最大手がハリスツイード・ヘブリディーズだ。
工場には約80人の社員と約140人の契約職人が、そこで生産された生地は日本そして海外に輸出される。
独特なカラーリング、色柄の豊富さ、ハリスツイードの色は島々にある色から作られ、例えば海や大地・山・森や空・雲。
スコットランドの厳しい気候風土で研ぎ澄まされた、まさに”自然の”色なのでしょうか。
その色を染める為に、通常は糸が出来上がった後に染めますが、糸を作る原毛の状態で染めます。
奥深い色柄を生み出せるワケでしょう。

雨風を凌ぐ名残りディテール タブカラージャケットをツイード地で

スコットランドのノーフォーク地方で狩猟をする時に流行したタブカラーは現在お洒落な名残ディテールとなっています。
狩猟の盛んであったノーフォーク地方ですが、
狩猟者は傘を持ち歩かずに行動する為に、衿を立て衿先の釦を留め首周りから防寒できる機能的なモノでありました。
このタブですが共生地するも良し、別の生地(ベルベットなど)で仕立てるも良し。
更に穴かがり糸の色糸を変更するオプションも併用しれば、衿元のお洒落は完璧!
ノーフォーク地方といえば「思い出のマーニー」というアニメの舞台となった場所で、日本でいうと北海道のような。
北海道のラベンダー畑は有名ですが、ノーフォーク地方でも咲き誇ります。

ネップの入ったドネガルツイード

ツイード生地として代表的なハリスツイードと並びドネガルツイードも同様に人気が高い。
ハリスツイード・シェットランドツイード・チェビオットツイードそしてドネガルツイードは4大ツイードとsて世界に名が通っている。
アイルランド北西部のドニゴール州で生産され、ネップと呼ばれる小さな糸の塊のが特徴的。
この記事に使用されるブラックフェイスという羊は生産量やマーケットにおいても重要で、
かつてはスコットランドの羊毛の半分以上、英国全体の8分の1を占めていた程であります。

ツイードジャケットを愛した白洲次郎

実業家であり、米軍による占領時に憲法草案や平和条約交渉などに関わった白洲次郎をファッション面から見ていく。
「日本で最初にジーンズを履いた人物」として知られ、そして「マッカーサーを唯一叱った日本人」とも呼ばれている。
お洒落で生き方も素晴らしく「20世紀で1番カッコ良い男」なのだ。
ハリスツイードなどありますが、白洲次郎が亡くなるまで愛用したのがロンドンのサビルローの名店でオーダーしたツイードジャケットです。
「ツイードなんて、買ってすぐ着るものじゃないよ。3年くらい軒下に干したり雨ざらしにして、くたびれた頃着るんだよ」と語ったそうだ。
着れば着るほど趣深くなる、ツイードを愛した理由がコレなのではないでしょうか!

誤表記から生まれたtweed

ハリスツイードやシェリーツイードやドネガルツイードは冬の定番生地ですが、実はツイードとは綾織を指すツイルが語源なのです。
ではどのようにしてツイルがツイードに変わってしまったのでしょうか?
1830年にロンドンの商人がホイック地方の企業から手紙を受け取り、その内容はスコットランドの生地として商標登録した方が余韻ではないか?という物でした。
ここでロンドン商人が誤表記をしていまい「tweel」を「tweed」に間違えて、この名前になった訳です。
それからホイック地方では今のツイードの織物工場が稼働しているのです。
ホイック地方はスコットランドとイングランドの境にあり、スコットランドの中でも北のハイランドのような荒々しさとは違い
魚が豊富で豊かな自然に囲まれた穏やかな地域です。

島民を守るハリスツイード条例

ハリスツイードと明記されている製品にはしっかりとした明確な定義があり、その他のツイードとは違う部分があります。
1つ目は島民の家で島民の手によって織られている事。
そして島とは5つある、ハリス島・ルイス島・ベンベクラ島・サウススト島・バラ島で生産されたモノだけに
ハリスツイード協会認定の印としてお馴染みの生地ネームが付きます。
2つ目は法律でハリスツイード産業が保護されている点です。
漁業以外に発展した産業がなく貧しい暮らしで、ハリスツイードを保護する事で島民を守ろうと国会で議論されたのです。
1933年には【ハリスツイード条例】が可決され、法でハリスツイード産業が庇護を受けています。
4つの条件があり「手織り」「織り子自身の家で織られること」「100%新しい羊毛」「全工程を島民が行う」
これらが守られてこそハリスツイードの称号を与えられるのです。

シャネルのハリスツイードジャケット

ツイードは英国貴族の間で狩猟や乗馬などのアウトドア用として流行し英国王室でも愛用されるようになりました。
米国に渡りあまりコストが高くない事で中間層にも広がっていき1つのブランドとして確率されていきました。
2011年に100周年を迎えた事は記憶に新しい、そしてその1年後の2012年にリントン社が100周年を迎えたのです。
あまり聞いた事がないという方もいらっしゃると思いますが高級ブランドのシャネル御用達のツイードを扱っています。
1920年代にシャネルはリントンと契約が結ばれ「シャネルツイード」と呼ばれている。
ツイードへの情熱は英国紳士ウェストミンスター公爵との出会いであり、魅せられた理由は形に沿って光が変化する生地表情の豊かさだった。
恋人のツイードジャケットを借りて、2人でヨットや狩猟や釣りやゴルフを楽しんだのだった。

ハリスツイードと日本の関係は大正時代から

英国貴族の生活に感化された日本の文化人が日本橋にあった「丸善」ツイード生地の輸入を働きかけた事から広まっていきました。
日本人作家に多くの影響を与えた小説家の志賀直哉 代表作は「暗夜行路」や民芸運動を起こした思想家である柳宗悦ら。
大正ロマンなんて言葉がありますが、文明開化後のこの時代のファッションは独特なモノでした。
袴を着ている人もいれば、学ランを着ている人もいたり、セーラー服が取り入れられたりと新しい文化が入り乱れて発展していきました。
いま秋冬にジャケットの生地として人気のあるハリスツイードが、大正時代の人達も着ていると考えると不思議な気持ちになります。
ハリスツイード以外にもドネガルツイードやシェリーツイードなど魅力的なツイード地が、それぞれ良さがありますので、是非味わいを確かめて欲しいのです。